椿に座高計

本と生活の一部

2020/9/22『ヒトの目、驚異の進化』

『ヒトの目、驚異の進化』
マーク・チャンギジー
柴田裕之 訳
ハヤカワノンフィクション文庫

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一貫して、進化においてどのような利点があったのか(なぜ自然選択されたのか)という点からヒトの視覚について考察をおこなっている。

全4章からなり、第1章から順に色覚、両眼視、錯視、読字を取り扱う。それぞれの章に主張が設けられていて、各章ではその論拠が示されるかたちで話は展開されていく。

まず、第1章ではヒトの色覚は肌がよく見えるように進化したという主題が置かれる。体のなかで「むき出し」の部分(進化過程で新たにむき出しになってきた部分)は色によるシグナリングをおこなう(例えば血液の酸素飽和度が高いと肌は赤みがかって見えるが、逆に低いと緑っぽく見える)。著者はこの利点として、肌の色調変化は意識的な操作が難しいと続ける。ヒトは互恵的利他行動をとるが、その際に裏切り者を見分けるために進化したのだと言う(これよくわからなかった。後悔を赤面であらわすことで裏切り者でないと判断するそうなのだけれど、そんなごく部分的な理由で進化することあるんだろうか)。もちろん生理的な状態を伝える(健康アピール)というのも利点に挙げられる。

個人的に、この章の結びを特によいなと感じた。目はその持ち主にとってX(ヒトの場合は肌)がいちばんよく見えるように淘汰されるのでX色の眼鏡で全世界を眺めることになる(そのためみずからと近い肌の色を無色と感じ、それ以外の肌の色を異色であると感じる)。そのため色のついたものを見るときに、生物によって見えかたはそれぞれ異なってくる。その点で白黒写真は(白と黒の見えかたは種にかかわらず同じであるから)真に対象のあるがままに近い姿を映しているとも解釈できるという。

第2章では両目が体の前後についていない代わりに重複する視野を持つ理由を説明する。従来、両眼視は立体視のためと言われてきて、わたしも学校でそう習ってきた。しかし著者は、それ以上に「透視」のためであると主張する。2つの目が同じ方向についていることで脳には2つの映像が入ってくる。ヒトはそれらを統合して1つの視覚(=フィクション)を形成している。このしくみが備わっているために、小さい葉や草によって見通しの悪い世界だと、それらを透明化できる(目の前に邪魔かつ両目をすっぽり覆うほどでないものが出されたときに、覆われて見えないはずの世界が見えるのと同じ)というわけだ。透視能力は前方に新たな視野の層を加えたとも言える。

第3章では錯視をとり扱う。錯視が起こるときに、脳は目の前の現実と一致しない知覚を構成している。これは視覚系が未来を予見していて、その情報が現在の知覚を生み出していることによる。予見した未来がやってこないときに錯視が起こる。

視野が球面状であるために非ユークリッドの歪みがもたらされる(球面上の平行線はその外側から見たときに平行とは言えない)。ぼやけによって脳は網膜から未来を読み取ることが可能になり、自己運動によってコントロール可能なぼやけが生み出される。この2つの歪みが錯視につながる未来予見を助けているらしい。

第4章では読字、特に文字表記は視覚に適応するために進化したということがテーマになる。人間は何百万年もかけて自然を視覚的に処理するのがうまくなるように進化してきたので、文化は自然界に見られるものの構成部分に似た文字をデザインした。

人間は読むよりも先に、話したり聴いたりするコミュニケーションが発達していた。そのため子供の絵などではシンボルを使って物語を伝えようとする。「もの」を認識するように進化してきたわたしたちの視覚系をうまく利用するためには「もの」に似た文字をメディアとして使う必要がある。

しかし、アルファベットなどの発話表記では、シンボル(=文字)は話し言葉の音声を表す反面、具体的な「もの」のイメージには結びつかない。よって文字そのものが自然界の一部に似た構造(箱の隅角がL、4つの箱が2×2で積んであるときの中心がX、といったように)を持つように進化してきたようだ。そして自然界でそのような配置になる確率が比較的低い文字は、比較的高い文字よりも単語中の登場回数も低いという(Xから始まる単語よりもLから始まる単語のほうが多いらしい)。

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著者の軽妙な語り口としばしば挟まれるジョークに加え、シュールな図版がいくつも入った全体的にユーモラスな本だとおもう。特に第2章ではあまり主張に直結しない部分の説明のためにトラクターから両目が伸びていたり人間の背後に目が生えていたりと奇妙な絵が多く入れられている。翻訳書にありがちな、あまりにユーモラスが過ぎる本は読んでいてつらくなってくるのだけれど、よい塩梅でそこまで苦痛にならずに読めた。

自分の理論を革新的と持ち上げる反面で凡人(のように描かれるひとびと)をいかにも無知といった様子で書かれた箇所が複数あって(ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだときにも同様の印象を抱いた)、そこは読んでいて微妙な気持ちになった。

それでもなお、前評判のとおり面白い本だった。とにかく主張が明白で、それを繰り返しながら論拠を説明していくので話が追いやすい。進化的な視座から形態・機能を考察する本はまだまだ出てきてほしい。

蛇足としては、こういう本について書くときに「視点」とか「視座」という言葉はややこしくなるため使いにくくて少し不便だった。

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日曜日の朝からずっとからだが重くて仕方がなくて、やっと今日になって軽くなった。そのために基本的に家の片づけをしていた。片づけるたびに、生活をうつくしくしないものを大量に保管しておかないといけないことに辟易している。それでも衣類を中心に多くのものを手放すことができた。できることなら9月中に本棚を組み立てて新しい本棚をつくりたい。